東京地方裁判所 平成8年(行ウ)241号 判決 1997年10月13日
原告
本澤光擴
右訴訟代理人弁護士
河上和雄
同
丸山武
同
柳田幸男
同
秋山洋
同
髙橋利昌
同
湯ノ口穰
同
増田好剛
被告
東京法務局台東出張所登記官
橋本忠雄
右指定代理人
湯川浩昭
外四名
主文
一 被告が、東京法務局台東出張所平成七年一二月一五日受付第一八六〇六号合資会社変更登記申請に対し、同日付けでした登記処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文同旨
第二 事案の概要
一 本件は、合資会社啓業社(以下「啓業社」という。)が、「社員は他の社員の過半数の決議により退社す。」と定めた定款の規定に基づき有限責任社員である原告について退社の決議をした上、原告の退社を登記事項とする合資会社変更登記申請をし、被告が右申請に基づき登記を行ったところ、原告が、右定款の規定及びこれに基づく右退社決議は商法(以下「法」という。)一四七条により準用される同法八六条一項(以下、単に「法八六条一項」という。)に違反して無効であり、したがって、被告がした右登記処分には登記すべき事項に無効原因があることを看過した違法があるとして、その取消しを求めるものである。
二 本件の前提となる事実関係は、次のとおりである(証拠により認定した事実は、その末尾に証拠を掲げた。その余の事実は、当事者間に争いがない。)。
1 当事者等
(一) 原告は、昭和四六年四月一日に入社して以来、啓業社の有限責任社員である。
(二) 啓業社は、東京都台東区東上野二丁目一六番五号に本店を置く合資会社である(甲一)。
(三) 被告は、啓業社の商業登記を管轄する東京法務局台東出張所の登記官である。
2 定款の定め
啓業社は、社員の退社事由につき、その定款一四条で「社員は他の社員の過半数の決議により退社す。」と定めている(以下「本件定款規定」という。甲二)。
3 登記処分
啓業社は、平成七年一一月一四日、右定款の規定に基づき、原告を退社させる旨の決議(以下「本件退社決議」という。)を行い、右退社の登記をすべく、本件定款の規定に基づき本件退社決議がされたことを原因として原告の退社の登記を申請する旨登記申請書に記載し、同年一二月一五日、啓業社の定款及び本件退社決議がされた旨の決議書を添付して、東京法務局台東出張所に対し原告の退社を登記事項とする合資会社変更登記申請(以下「本件登記申請」という。)をしたところ、被告は、東京法務局台東出張所同日受付第一八六〇六号をもって本件登記申請を受理し、登記原因を「平成七年一一月一四日退社」とする原告の退社の登記(以下「本件登記処分」という。)をした。
なお、本件登記申請書には、本件退社決議に基づいて原告の退社登記を申請したことが記載されているが、本件退社決議に当たり、原告が退社を申し出、あるいは退社に同意したことはなく、本件登記申請書及びその添付書類中に、原告が退社を申し出、あるいは退社に同意したことを示す記載はない。
4 審査請求及び裁決
原告は、平成八年三月一五日、東京法務局長に対し、本件登記処分を不服として審査請求をしたが、同局長は、同年七月一七日付けでこれを棄却する旨の裁決をし、右裁決書は、同日、原告に送達された。
三 争点及びこれに対する当事者の主張
本件の争点は、法八六条一項の規定が強行規定であって、本件定款規定及びこれに基づく本件退社決議が法八六条一項の規定に違反し無効であるかどうかであり、この点に関する当事者双方の主張の要旨は、それぞれ以下のとおりである。
(被告の主張)
(一) 商法(以下「法」という。)一四七条により準用される法八五条一号(以下、単に「法八五条一号」という。)は、社員の退社事由として、「定款ニ定メタル事由ノ発生」を定めており、したがって、合資会社は、強行法規又は公序良俗に反しない限り、定款により自由に退社事由を定めることができ、例えば、定年制、社員たる期間・条件・資格等による退職事由を定めることができるものである。そして、定款で退社事由を定めた場合には、当該退社事由が発生すれば、それに該当する社員の同意なくして当然に退社の効果が生ずるのであり、その実質的根拠は、定款が社員になろうとする者全員により、すなわち総社員の同意により作成され、定款の変更には総社員の同意が必要であり(法七二条、一四七条)、また、社員として入社する者も定款の規定により拘束されることを承知して入社してくることから、定款の規定に対し総社員の同意があることによるものと解される。
本件定款規定も、総社員の意思に基づいて定款で客観的に定められた退社事由であって、法八五条六号に定める「除名」、すなわち、法八六条一項に定める事由による「除名」とはまったく性質を異にする退社事由を定めたものであり、これに基づく本件退社決議は有効である。
(二) 合名会社、合資会社は、株式会社と比べ個人的信頼関係を基礎とする会社形態であり、その運営に社員間の信頼を基礎とした社員相互の強い結びつき及び相互協力が何よりも望まれるものであることからすれば、誰と会社を組織するか、あるいはその信頼関係が失われたときに、適正・健全な会社運営のため、社員関係の解消等どのような措置を講ずるかなどは、本来的には国家の許可にかからせるべき事柄でなく、私的自治に委ねられるべき性質のものであり、法八五条一号が、定款により定年制を初め、社員たる期間・条件・資格等の退職事由等、社員をその意思に反してでも退社させる事由を定めることを是認しているのもその趣旨にほかならない。
それにもかかわらず、法は、八五条六号に定める除名についてのみ、八六条一項において除名事由を定めるとともに、その手続も規定しているのであるが、右規定の趣旨は、法八六条一項に定める除名事由は、例えば、出資義務の履行といえるかどうか、競業避止義務違反に該当するか否か、不正の行為といえるか否かなど、法律に反する行為や法的義務に違反する行為をしたことを理由とするものであり、その性質上、その解釈、判断を私的自治に委ねるのが適当でなく、司法判断によることが相当な事項であるので、八六条一項各号の事由に基づく除名に限り、司法判断を介在させる手続を経ることを要件としたものと解すべきであり、それ以上に社員からその意思に反して社員たる地位を奪う場合一般について、その事由を制限したり、慎重な手続を要求する趣旨までも含むものではない。
そうすると、法は、八六条一項各号に定める事由以外の事由(本件のような退社事由を含む。)に基づく本人の意思に基づかない退社については、これを本来の姿である私的自治に委ねることとし、社員全員の合意に基づいて成立した定款に基づき決することを許容しているものと解されるのであって、本件定款規定は法八六条一項に違反するものではないというべきである。
(原告の主張)
法八五条一号によれば、定款により退社事由を定めることができるものとされているが、それは強行法規又は公序良俗に反しない限りにおいて許されるにすぎない。
ところで、合資会社社員の除名については、一定の事由が存在する場合に他の社員の過半数の決議をもって当該社員の除名の宣告を裁判所に請求することができる(法八六条一項)とされており、①除名事由の存在、②他の社員の過半数の決議、③裁判所の判決という要件を満たすことが必要とされている。
これは、除名が、特定の社員からその意思に反して社員たる地位を剥奪するものであり、当該社員に対し多大な不利益を及ぼす制度であるから、他の社員による除名決議の濫用を防止し、当該社員の利益を保護しようとするものである。したがって、法八六条一項は強行法規であり、除名事由を定款で追加したり、裁判所の関与を経ずに除名できるように定款で定めることはできず、その意味において私的自治が制限されていると解すべきである。
「社員は、他の社員の過半数の決議により退社す。」と定める本件定款規定は、法八六条一項各号の除名事由の存在を要件とせず、裁判所の関与もなく、社員の過半数の決議のみによって特定の社員から社員たる地位を剥奪することができるとするものであり、法八六条一項に違反し無効であり、したがって、これに基づく本件退社決議も無効である。
定款への同意は、具体的に特定の社員の退社という事態を認識した上でのものではないから、かかる定款への同意をもって、現実にその意思に反して会社から排除される社員が自らの退社に同意したものとみなすことはできないのであり、原告が、本件定款規定に同意していることをもって、退社に同意しているものとみることはできないのである。
第三 争点及びこれに関連する事項についての判断
一 本件定款規定が法八六条一項の規定に違反し無効であるかどうか。
1 法八五条は、同条各号に定める事由が発生したときには社員は当然に退社する旨を規定し、その一号において「定款ニ定メタル事由ノ発生」を掲げている。右規定は、会社は、強行法規又は公序良俗に反しない限り、定款において自由に退社原因を定めることができることを前提とするものである。
一方、法八五条は、その五号において、「除名」を退社事由の一つとして定め、これを受けて法八六条一項は、社員につき、同項各号の事由があるときは、会社は他の社員の過半数の決議をもってその社員の除名等の宣告を裁判所に請求することができる旨定め、同項一号ないし五号において除名等の事由を定めている。
右除名に関する規定の趣旨についてみるに、除名は、合名会社及び合資会社は社員相互の信頼関係を基礎に成り立つものであることにかんがみ、その社員とともに会社を継続することが経済上、信用上困難となると目すべき事由、すなわち、社員としての重要な義務の懈怠、業務の執行に当たっての不正行為、権限逸脱の行為等が存在する場合に、その社員から社員たる地位を剥奪して会社内部の組織を強固にし、もって会社の目的とする事業が円滑に遂行できるようにするための制度であるが、他方、除名は、当該社員の意思に反してその社員たる地位を剥奪する行為であり、当該社員の権利利益に重大な影響を及ぼすものであるから、一部の社員が理由なく他の社員の意思に反してその社員たる地位を剥奪することができないように歯止めをかける必要がある。そこで、法八六条一項は、会社の自律的経営・私的自治と除名の対象となる社員の権利利益の保護とを調和させるべく、法定の事由がある場合に、他の社員の過半数の決議をもってする会社の請求により、裁判所の判決をもってのみ除名をすることを認めたものであり、右規定は、その趣旨に照らし、強行法規と解するのが相当である。したがって、法八六条一項各号が除名事由を限定している趣旨に反して定款で退社事由を追加したり、除名の手続を軽減したりすることは許されないものというべきである。
右に説示したところからすれば、法は、定款で定めることのできる退社事由としては、社員たる期間や資格を定め、その期間の満了、資格の喪失をもって退社事由とすること、社員について定年制を定めること、社員が準禁治産宣告を受けたときを退社事由と定めることなど、退社事由が具体的に特定されていて、その発生が客観的に認識でき、当該退社事由の存否をめぐって社員間に紛争の生ずる余地のないような事由で、かつ、公序良俗に反しないものを予定しているものと解される。これに対し、「社員は、他の社員の過半数の決議により退社す。」とする本件定款規定は、退社事由が具体的に特定されておらず、右規定によれば、法八六条一項各号所定の事由がある社員についても、裁判所の関与を経ず、他の社員の過半数の決議だけで退社させることができるのみならず、同項各号所定の事由が存在せず、単に他の社員との間に対立があるというだけでも他の社員の過半数の決議だけで当該社員を退社させることができることになるが、このような定款の定めは、法八六条一項の規定を潛脱しその趣旨に反するものであって、無効というべきである。
2 被告は、法は、八六条一項各号に定める事由以外の事由に基づく本人の意思に基づかない退社については、これを本来の姿である私的自治に委ねることとし、社員全員の合意に基づいて成立した定款に基づき決することを許容しているものと解されるところ、本件定款規定は、総社員の意思に基づいて定款で客観的に定められた退社事由であって、除名とはまったく性質を異にする退社事由を定めたものであって、法八六条一項に違反するものではなく有効なものである旨主張する。
しかしながら、法八六条一項の規定の趣旨については既に説示したとおりであり、また、定款への同意は、具体的に特定の社員の退社という事態を認識した上でのものではなく、この段階においては、特定の社員が退社する可能性は抽象的なものにすぎないから、かかる定款への同意をもって、現実にその意思に反して会社から排除される社員が自らの退社に同意したものとみなすことはできないというべきであって、被告の右主張は採用することができない。
二 被告の審査権権限が前記一の無効事由の存否にまで及ぶかどうか。
1 登記官は、登記簿、申請書及びその添付書類のみに基づいて、登記申請の形式的適法性についてのみ審査する権限しか有しないが、商業登記法二四条一〇号によれば、登記官は、「登記すべき事項につき無効又は取消しの原因があるとき。」には、登記申請を却下すべき旨定めているのであるから、登記官は、右各書類の記載の外形から登記すべき事項に無効又は取消しの原因があると論理必然的に判断できる場合には、その点に関し判例や行政先例がないとか、学説が対立しているとかいう理由だけで右判断を回避することは許されないものであり、右各書類に基づき自らの責任において一定の判断をし、登記申請に基づき登記を実行するかどうかの決定を行うべきものと解される。
2 本件についてみると、本件登記申請書には、本件定款規定に基づき本件退社決議がされたことを原因として原告の退社登記を申請する旨が記載されていること、その添付書類として啓業社の定款及び本件退社決議がされた旨の決議書が添付されていること、本件登記申請書及びその添付書類中に、原告が退社を申し出、あるいは退社に同意したことを示す記載がないことは当事者間に争いがないから、本件退社決議が本件定款規定に基づきされたものであること及び本件定款規定の内容は、本件登記申請書及びその添付書類の外形から明らかであるというべきである。そして、本件定款規定及びこれに基づく本件退社決議が法八六条一項に違反し無効とならないかどうかは論理必然的に判断できる事柄であり、したがって、被告は右の点について判断し、それらが無効である場合には、本件登記申請について登記すべき事項に無効原因があるとしてこれを却下すべきであったというべきである。
三 結語
以上の次第で、本件定款規定は法八六条一項に反して無効であるから、本件退社決議もまた無効であり、したがって、本件登記申請書には、登記すべき事項につき無効の原因があるものというべきであるから、被告は、本件登記申請を却下するべきであったのであり、本件登記処分は、商業登記法二四条一〇号に反し違法なものといわざるを得ない。
よって、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官青栁馨 裁判官増田稔 裁判官篠田賢治)